レモンになってゆく/百(ももと読みます)
すこしずつ、ぼくもレモンになってゆく。米津玄師は気持ちの面でのぼくの親戚だ。気持ちの落ちつきは得難いものだ。
ラジオをお聴きすることでも、繋がりの輪に意識を留めておくことができる。ひとりぼっちって幻想だ。
肌のうえや大腸のなか、またはトキソプラズマもそう。たくさんのぼくみたいなものがわわわっていって、どこのどこかのこころの場所で勝手にくるしいようって咽び泣く憐れさが、いま、すこし遠い。
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11月16日に「全てのひとは倖せになるべきだ」という随筆を書いて、そこに登場する友人が、きみは病気ぢゃない、弱いだけだって、はっきりといってくれて、びっくりするほどメメが醒めつつ
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