真夜中の産物/ホロウ・シカエルボク
 
とは自己探求の先にあるものだ、ただそこにあるだけの現実は現実でしかない、視認するのみでいい真実になど何の意味も無い、それが必要なのは横断歩道の信号を確認する時ぐらいだ、リアリズムとは短絡的に現実を受け入れるということではない、そんな場所にはどんなイズムもない、現実が変われば追随していく連中の真実も変わる、そんな場所にはどんなイズムもないんだ、真実は変化し続ける、留まることがない流動的な現象だ、それはいままでにも何度か書いたことがある、けれどその根本にあるのは自分自身の変化でなければならない、そこらの道にゴミが落ちているとかなくなっているとかいう程度のことではないのだ、見たものを見たまま言葉にするこ
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