新約聖書、司馬遼太郎、宮崎駿/喫茶大島
 
16時30分前。モールより帰宅。書店でうっかりカバーを破いてしまった、司馬遼太郎の歴史小説『峠』と、KALDIで野菜カレーを買ってきた。
司馬遼太郎の小説は、新約聖書だけでは捉えきれないような印象だったが、論語を考えると把握できるだろうか。現代の偽史はどのくらい司馬遼太郎がつくっているのだろうか。週刊新潮などの記事も、かつて司馬遼太郎の小説を読んだことへの反省を促しているように思う。
「日本は新約聖書でできている」という言説について、正確に言うと「日本は新約聖書を読んだ司馬遼太郎の小説でできている」と言えるのか。宮崎駿が言っていたが、「日本人は司馬遼太郎のところに相談に行くようになった」そうだ
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