全行引用による自伝詩。 04/田中宏輔2
 
の全生活は、この一つの思い出を手に入れるかいなかにかかっている、という観念がつくりあげられた。さらにまた彼女は、自分がそのように感じているものは、力ではなくて、彼の静けさ、つまり彼の弱さであることも知っていた。この静かで不死身の弱さは、広々とした場所のように彼の後ろにひろがっていて、そのなかで彼は、自分の身に起きたあらゆることと、ひとりで向かいあっているのだ。しかし彼女はそれを、もっとそれ以上に探り出すことができなかったので、不安な気がした。そして、自分がすでにその近くにいると思ったときにはいつも、またまえもって動物を思い浮かべるので、彼女は苦しかった。
(ムージル『ヴェロニカ』吉田正巳訳)

[次のページ]
戻る   Point(10)