イヴの手が触れるアダムの胸の傷あと ──大岡信『地上楽園の午後』/田中宏輔
体論とは、父と子と聖霊が神の三つの位格であるとするキリスト教の神概念であるが、そこでは、キリストの存在とは「この世に全き人として存在した全き神である」と定義されている。(高橋保行著「ギリシャ正教」第二章)人であると同時に神であるイエス・キリスト、これこそ、氏の語る、「徹底して矛盾したものが何よりもよく一致してるような状態」即ち「絶対というもののイメージ」そのものではないだろうか。どうやら、大岡氏の詩精神の在り処には、聖書世界のvisionが重要な位置を占めているようである。これまでも、大岡氏の詩作品の中には、詩語の出自が、聖書のどこにあるのか容易に知ることのできるものが多々あった。もちろん、この『
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