IN THE DEAD OF NIGHT。──闇の詩学/余白論─序章─/田中宏輔
 
いては、どうであろうか。すべてのことが許されているわけではない。形式というものがある。それに縛られている。しかし、「形式が束縛をあたえるから、観念はいっそう強度のものとなってほとばしり出るので」(ボードレールの書簡、アルマン・フレース宛、一八六〇年二月十八日付、阿部良雄訳)ある。もちろん、形式といったものが作品のすべてではない。しかし、「人間の注意力は、限界を設けられれば設けられるだけ、また、自らその観察の場を限られれば限られるだけ、いっそう強烈になるもの」(ボードレール『一八四六年のサロン』一二、阿部良雄訳)である。「最大の自由が最大の厳密さから生まれる」(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築
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