IN THE DEAD OF NIGHT。──闇の詩学/余白論─序章─/田中宏輔
が、真昼間にドッペルゲンガーを見て、部屋のなかにいた何者かの正体が、もう一人のわたしであることがわかって、闇のなかに潜んでいたのが自分自身であることに気がついてから、少しは闇に対する恐怖心も薄れたのだが、それでも、いまだに電灯を点けたまま眠っているのである。というのも、たとえ、それが自分自身とはいっても、やはり怖いからである。それに、それがほんとうに自分自身であったのかどうか、確実なことはいえないからである。わたしに擬態した何ものかであった可能性もあるからである。と、こういったことが、橋 ?石の「日の沈むまで一本の冬木なり」という俳句に出会ったときに思い出されたのだが、ドッペルゲンガーを見たのは、
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