詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その2。/たま
 
ないというとくべつな意味がきっとどこかにあるはずで、目が見えるまでのほんのみじかい幼少期に、耳だけがすべての世界とつながっていることをおもえば、そのつながっている世界では、己の魂はもちろん、この世とあの世を行き来する魂さえも、耳で見ることができたはずだ。そうなると、いまを生きるわたしの魂に出会うためには、幼少の頃の古い記憶まで辿らなければいけないことになるが、老いるとともに辿り着けなくなるのはたしかだから、ひとは記憶を辿るごとに、不確かな記憶を再構築することになる。それはつまり記憶をつくり替えるということで、そうなるともう意識のなかの創作であって、わたしが詩を書くのとおなじ行動ではないだろうか。
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