詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その2。/たま
みたくなるのはこんな甘い詩を書いていたころのわたしを羨ましくおもうからだろうか。
しかし、とおもう。
五十代のおとながこんな甘い詩を書いているとしたら、ひとがおとなになるのはいったいいくつからなんだといいたくもなる。古希を目のまえにしても、わたしはまだおとなの気分にはなれないし、もうすぐおとなになれるような予感はあるけれど、それはたぶんやって来ないというか、わたしのないものねだりではないだろうかとおもう。ひょっとして、おとなに成りきらないままに、ひとは老いてしまうのではないだろうか。ほんとうにおとなと呼べる年代はもっと若くて、小学二年生あたりのみずみずしい感性に生きたころが、ほんとうのおと
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