詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その2。/たま
るかもしれない。
じつにややこしい話しだ。
それで話しを元にもどすと、老いが絡みはじめるのが五十代だとしても、まだ男を持て余す五十代には隠しつづけたい生々しい意識や、傷の癒えないまあたらしい記憶があったはずで、そうなると、いまのわたしがこの詩を読み返してみても、その当時の意識や記憶は、ほとんどおもい出せないから、この詩のほんとうを読み解くのは、ちょっとむずかしいとしかいえなくなる。だからもう、わたしの詩ではないような気がするのだが、五十代がそんなにとおくなってしまったのだという、失意にも似たすっぱい感情が込み上げてきて、やさしく老いることができるのは犬や猫だけだよ、と。つい横槍を突っ込みた
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