Sat In Your Lap。II/田中宏輔
 
に、はじめて人は、自分が感じたものの形象を見わけるのだが、それはどんなに苦労を伴うことであろう。
(第七篇・見出された時、井上究一郎訳)


 悲しいという感じはするが、それがどのような悲しみなのかわからないときがある。漠然としていることがある。しかし、そこに言葉が与えられてはじめて、それがどういう悲しみか、どう悲しいか、つぶさにわかることがある。


ヴァレリーの『ユーパリノス あるいは建築家』に、



観念は視線を向けられたとたんに感覚となる。
(佐藤昭夫訳)


とある。観念といったものも、いったん感覚といったものを通さなければ、それをほんとうに感じとることが
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