もうすぐ百の猿になる。/田中宏輔
 
ところがある。」に、「我とは、一個の他者である。」は「私は、ほかの誰かに似ているところがある。」というふうに。どれだけ「似ている」か、「すこし似たところがある」から「そっくり同じくらいによく似ている」に至るまで、さまざまな程度の「似ている」度合いがあるであろう。こう考えると、自己同一性について配慮する必要はなくなる。


それはいくらか私自身であった。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

これなどは、「それはいくらか私に似ているところがあった。」という意味になるであろうか。


ぼくたちが出会うのは常にぼくたち自身。
(ジョイス『ユリシーズ』9・スキュレーとカリュブディス、高松雄
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