もうすぐ百の猿になる。/田中宏輔
 
してただ一つの影を有する/この両者のいずれがこの詩をかきつけているのか。」(田村さと子訳)。ボルヘスのこの詩に出合ってからというもの、ぼくはこの「複数の〈わたし〉」という概念なしには、自分というものの存在について考えることができなくなったのである。つい最近、ナンシー・ウッドの『今日は死ぬのにもってこいの日』という詩集を読んでいたら、つぎのようなフレーズと出くわした。「わたしの部族の人々は、一人の中の大勢だ。/たくさんの声が彼らの中にある。」(金関寿夫訳)。この詩のなかに出てくる「大勢」というのは、「熊」や「ライオン」や「鷲」であったり、あるいは、「岩」や「木」や「川」でさえあったりする。ぼくの場合
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