もうすぐ百の猿になる。/田中宏輔
 
私である」というジュネの言葉と、「我とは、一個の他者である。」というランボーの言葉が、同じような意味を現わしているような気がしていたのだが、ぼくには、よく考えもしないうちに、よし、わかった、と思うことがよくあって、そのときにも、同じような意味なのだろうと漠然と思うだけで、深く考えなかったのであるが、あとで、自分の数学の時間に、命題を教える機会があって、命題とその逆命題の真偽について教えているときに、ジュネの言葉と、ランボーの言葉が思い出され、それらの言葉がけっして同じ意味を現わしているとは限らないということに気が付いたのであった。


他者とは、私ではあらぬ者、また私がそれではあらぬところの
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