引用の詩学。/田中宏輔
が、多くの場合が、その他者が体験したことをその他者が書いた文章であったり語った言葉や雰囲気であったり映像に撮られたものであったりするのだが、そういった他者の体験を、その他者自身が表現した場合とそうでない場合があるのだが、いずれにせよ、そういった、ぼくではない人間の「ものの見方」や「感じ方」や「考え方」を通してこそ、自己の体験をほんとうに知ることができると思われるのである。自分のなかだけでは、堂々巡りをするだけで、自分の状態をほんとうに知ることなどできないであろう。他者の体験を知るということが、唯一、ほんとうに自己の体験を認識する手段なのである。このことは、たいへん興味深いことである。言語で表現され
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