引用の詩学。/田中宏輔
り、あるいは想像したりするというプロセスにおいて疑似的に体験することによって、その他者の体験という、ぼくの体験ではない体験にある精神状態から、つまり、いったん、自分の状態ではない他者の精神状態から、ぼくの体験を眺める目をもつことができるようになってはじめて、自分が体験したことの意味がわかるのだと思われるのである。もちろん、他者の精神状態はぜったいに知ることはできないが、他者の精神状態を想像することはできる。その想像した他者の精神状態に、いったん自分を置くということである。置いてみるということである。その他者の精神状態を想像するもとになるものは、直接的にその他者の体験を目の当たりにする場合もあるが、
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