語の受容と解釈の性差について──ディキンスンとホイットマン/田中宏輔
 
しているのである。魂もまた、わたしたちを呼吸しているのである。あるいはまた、呼吸が、わたしたちを魂にしているとも言えよう。息が、わたしたちを魂にしているとも言えよう。貧しい思考の持ち主の魂は、自分自身の魂だけでいっぱいか、他者の魂だけでいっぱいだ。生き生きとした魂は、勢いよく呼吸している。他の事物・事象、観念といったものの魂と元気よく魂のやりとりをしている。他の魂を受け取り、自分の魂を与えているのである。生き生きとした魂は、受動的であると同時に能動的である。さて、これが、連詩ツイットについて、わたしが考えたことである。ツイッター連詩に参加していたときの、あの魂の高揚感は、受動的であると同時に能動的
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