語の受容と解釈の性差について──ディキンスンとホイットマン/田中宏輔
のようなものであり、蜜のようなものであり、蜂のようなものであると。ツールであるネットワークは、気候であり、花畑であり、花であり、蜜であり、蜂であり、蜂の巣であり、それから蜜を採集する遠心分離機に似た機械であり、それを味わう食卓であり、人間であると。ところで、ミツを逆さにつづると、ツミになる。蜜は簡単に罪になるのである。ネットワークが疫病のように害悪となることもある。わたしたちは、つねに、ネットワークを比較衡量できる手段を傍らにもっていなければならない。それが、教養であり、学問であり、知恵である。それらを傍らに手控えさせておかなければならない。ところが、それが、なかなか容易なことではないのである。教
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