語の受容と解釈の性差について──ディキンスンとホイットマン/田中宏輔
 
たであろう詩句を書きつけていくことができたからである。わたしたちは、機械ではないし、ましてや、コンピューターではない。並列につなぎ合わせられるわけではないが、なにか、それに似たようなこと、精神融合のような現象が起こっているのではないかと、わたしには思われたのである。勝手な思い込みであることは重々承知しているのだが、少なくとも、連詩を書いていたわたしたちのあいだでは、ちょっとした思考のもとになるもの、その欠片のようなものが交わされあっていたような気がするのである。このことがさらに促進されると、おそらく、わたしたちは、つぎのようなものになるであろうと思われたのである。わたしたち、ひとりびとりが、花のよ
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