『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼバブ)論』。/田中宏輔
て害虫でもない小動物を殺すことがあるかもしれない。しかし、そのことによって、自分のこころが慰められているのだという認識はないであろう。あるいは、そう認識するまえの段階で、そのような行為とは決別するものであろう。しかし、茂吉は、そう認識しつつも殺さなければならないほどに、こころが蝕まれていたのであろう。
むらぎものみだれし心澄みゆかむ豚の子を道にいぢめ居たれば(『あらたま』)
このような歌を詠まずにはいられない茂吉の心象風景とは、いったい、いかなるものであったのだろう。
唐辛子(たうがらし)いれたる鑵(くわん)に住みつきし虫をし見つつしばし悲しむ(『白桃』
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