読書における娯楽性と読破という苦痛について/山人
 
れるのであろうが、いまひとつ自分的にはインパクトに欠けるものではあった気がする。
 有名な川端康成の「雪国」はするする読めた。さしたる展開もないのにこれだけ読ませるのは女性描写が見事なのだろうと思う。これは前出の作家にも言えることだが、女性の表わし方がうまいようである。一方の語り手の「私」「僕」「先生」など、人物像についての具体性がことごとくされていないというのも不思議な手法である。
 実は詩集もそこそこ読んだ。谷川俊太郎は詩集ではなく、谷川氏の作品群の批評論集や対談集二冊を読んだ。この評論集読破もきつい修行のような読書であった。なにしろ和製英語のようなものがバシバシ出てくるのであるから、その
[次のページ]
戻る   Point(2)