そういうわけで俺は今夜も禍々しい陽炎と対峙している/ホロウ・シカエルボク
 
られた瞬間と同じであるときもあるし、まるで違うように思えることもある、そしてそのふたつの認識が、しばらくの間漂い続け、そのうちに、なぜその記憶がいま必要だったのかということを悟るのだ、本能的に、それから、自覚的に―俺にとって詩とは、心ゆくまでその絡み合った糸のようなイメージで遊ぶことだ、解きほぐすのではない、それは人工的だ…時折ほどけたり、再び絡まったりというさまを見て楽しむのさ、そうすることによって出来たスペースに、また別のものを押し込んでおくためにね…つまり、他の何かを用意すること、ではない、同じものをどれだけ違うところから眺めることが出来るのかということなんだ、お前が球体だと思っているそれは
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