あの灰が零時になるとき/ホロウ・シカエルボク
 
あるということは
それが
いくつかの真実を含んでいるという
なによりの証拠だと
おぞましい映画を
終わりまで観てしまうのときっと同じことだ

おれは
どろどろになって落ちた
おれの表面を?き集め
なんて頼りないものだろう

考える
それに語ることが出来るものなど
たかが知れている
おまけに
余計な誤解だって
そこには
含みがちだ
たとえば
あるときおれの前に立つものが
言葉をどう読むかもわからない田舎者だったりしたら
そんなやつと話すための言葉などおれは持ち合わせていない
おれは
自分が築き上げてきた
おれなりの言葉でしかすべてを話せない


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