ただ真夜中が流れ落ちていくだけの/ホロウ・シカエルボク
 
と言っていい、だから俺は自分の為のうただけはとりわけ上等に歌うことが出来る―感覚にフォーカスを当てることだ、それは間違いがないが、そうすることでどうなることを望んでいるのか?いわゆる解脱のようなものか?肉体を飛び越え、魂だけの世界を垣間見ようとしているのか?以前はそう考えていたこともあった、けれどいまは必ずしもそうとは言い切れない、それは非常にフィジカルなことでもあるからだ、だってそれは肉体のビートなのだ、肉体のビートを書きつけようとするときに肉体を忘れてしまったら…それはただの垂れ流される水のようなものだ、閉め忘れた蛇口から流れる水のような、単調でつまらないだけのものになってしまうだろう―はっ、
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