ケロイドのような思春期を纏って/ホロウ・シカエルボク
 
の云々や、歌唱の云々、演奏の云々だけで語られるものであってはいけない、どこか一部にフォーカスを定めてしまうのは真剣なだけの愚か者がすることだ、それはトータルで語られなくてはならない、トータルで受け止められなければならない、見知った誰かを新しく知ろうとするみたいに検分されなくてはならない、自分以外の個体を自分が決定することにはまるで意味がない、それは解答を得るための行為であってはならない、すべては当たり前に起こる現象に過ぎない、ほら、先に言った通り―動いてはいけないものから動いてしまうとすべては有耶無耶のうちに終わってしまう、結論は賢者の手段ではない…そんな解答欄には必ず斜線が引かれてしまうだろう―
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