ケロイドのような思春期を纏って/ホロウ・シカエルボク
 
、生者の中でもっともカタコンベに近付けるのはこの俺だ、それには多重的な意味があり、誇りのようでもあれば自嘲的でもあり、あるいはその両極の間に含まれるすべての感覚が含まれている、本当の詩を言葉で表そうとしてはいけない、それが真理なら音楽は楽譜を見るだけでいいということになってしまう、俺の言ってること判るかい、言葉は楽譜だ、詩はボーカリゼイションなんだ、あるいは様々な楽器のプレイだ…それは技能で語られてはいけないが、感情だけが特出していてもいけない、高い温度か低い温度かどちらかだけではいけない、おそらくそれは一番変動し続けているものになるだろう、それは定まらないままに定義されなくてはならない、旋律の云
[次のページ]
戻る   Point(3)