【批評ギルド】原口昇平「とりあう手」について/田代深子
 
になりえなかった、こぼれおちていった出来事が、この世の出来事のほとんどだということも、あながちな修辞ではない。物語を生みだすのは語りうる者にだけ許された特権だとする人もある。それを暴力であると。
 暴力かもしれない。「右足を失った兵士と彼の仕掛けた地雷で左足を失った少女」は〈歴史〉=物語からこぼれおち、「この世の誰にも知られない」、忘却の暴力にさらされる。しかし物語る者は誰か。さもしくさびしい者同士がわずかに時を共にすれば、そこに物語は語られる。家も宿もなく火だけを囲む夜が白むころ名も知らぬ者同士がしたたか酔って、衝くような悲しみに押し出され「俺の知ってるやつの話でね…」上記の詩を、この言葉の後
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