石田瑞穂詩集『耳の笹舟』について/葉leaf
 
前するのである。ここにおいて身体と世界とは接触を通り越して直接性のもとに融合し、いかなる媒介も差異も含んでいない。感覚的なものにおいて根源的なものが現前するのである。
 引用部を見てみよう。ここでは、「耳の奥底を谺しながら流れている」とあるように、音があたかも物質であるかのように扱われているのが分かるだろう。そして、音を受容する器官としての耳が明確に可視化されている。ここで詩人は、物質とも感覚ともつかない感覚的なものに根源的に遡及している。もちろん、言語化されてしまった詩句と感覚的なものの間には隔たりがある。だがその言語の態勢として感覚的なものへと遡行しているのが分かるだろう。

弦のないヴ
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