金井雄二詩集『朝起きてぼくは』について/葉leaf
 
ろが金井の詩を読むと、そのような世界の共有不可能性など存在しないかのようである。金井の詩は、私たちが現に生き、意思疎通をし、感情を交わし合い、意味を共有し合っている「生活」と同じ構造をしているように思われるのである。金井の詩の世界は「生活」の世界そのものであるから、私たちは金井と同様に物事を感じ、解釈し、言葉を発しているように思ってしまう。
 つまり、金井の詩は「詩」の特権的な空間を作り上げない。金井固有の言葉の意味や言葉の行為などを、現実の多様性としてことさら提示しようとしないのである。金井の詩は「生活」の世界と同じく、誰もが共有可能で誰もが共感できる大きな公の広場なのである。私たちはそこで判
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