金井雄二詩集『朝起きてぼくは』について/葉leaf
 
たちは詩を読むとき、言葉の意味や言葉のなす行為などについて一度判断停止をしなければならない。その判断停止の中で私のものとも詩人のものとも違うような言葉の意味や行為が見いだされていく、あるいは判断停止の中で揺らめく心象風景を楽しむ、それが現代詩の読解の一つのモデルである。

こうして階段に足をかけたとき
むかしならば
二段ずつ昇れたなあ、と思っている

次の電車は
何分の発車だろうか
その電車に間に合うだろうか
腕時計ばかり見ている
席はあいているだろうか
座れるだろうか
立っていくのは
少々つらいなあ、と考えている
       (「雑踏の中に」より)

 ところが
[次のページ]
戻る   Point(3)