佐峰存詩集『対岸へと』について/葉leaf
 
が登場し、また「告解」という言葉も登場する。このような身体性や告解は実存に近いものであり、それをありのまま引き受けるところから詩は出発するのだ。
 さらに、読者は詩を読むとき、詩に託された詩人の実存をさらに引き受けることになる。詩人は詩を書くことによって、自らの実存を引き受けるとともに自らの実存を他者に対して開く。そして、読者は詩人が開いた詩人の実存を、その苦しみと快さを引き受けるのである。このようにして、詩が書かれ、詩が読まれるということは、詩人が己の実存をその深淵からつかみ取ってきて他者に対して開くと同時に、読者がその実存を引き受けるという「実存の受け渡し」に他ならないのである。
 ここに
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