佐峰存詩集『対岸へと』について/葉leaf
まうということは、己の実存を引き受けるということである。すべての属性を引きはがしてもなお残る人間存在そのもの――これを「実存」と呼んでおこうと思うのだが、臨床の現場では、何よりもまず実存が肯定され承認される。詩人は詩を書くとき、自らの本源的な存在を引き受け、その存在から湧き出る無数の詩想を次々と言語化していくのである。嬉しいとか悲しいとかの感情よりももっと根源的で、孤独や連帯の基体となるものが実存であって、この実存は存在の雰囲気だけまとっている。この存在の雰囲気は漠然と快だったり苦だったりするが、この己の実存をまず引き受けること。それが詩を書くということである。
引用部では様々な身体の部位が登
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