佐峰存詩集『対岸へと』について/葉leaf
感じ取り、「影」の気配が道路の空間を割っていく様を味わい、影が人から離れて動き出し行方不明になる不穏さなどを感覚するためにあるのだ。この不穏な記述が惹起する空気に触れ、この不穏な記述の声のテクスチュアをよく聴く。単に風景を目で見るだけではなく、風景に触れたり風景を聴いたりする臨床的な空間が作り上げられているのである。
ところで、詩における臨床性は、詩が読まれる現場のみで成立するのではない。それ以前に、詩を書くという行為は、詩人が自己の詩想に対して臨床的にふるまうということである。詩人はまるで自分が自分のカウンセラーになったかの如く、自分の内側に渦巻いている声をありのままに受け入れ、その声を聴き
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