佐峰存詩集『対岸へと』について/葉leaf
 

 詩は「読む」ものというよりは「触れる」「聴く」ものである。文の論理構造に従って明確な意味を読み取るものというよりは、そこに立ち上る言葉の響きや質感を聴いたり、意味の多義性や構文の揺らぎに触れるものである。詩は視覚によって一定の距離のもと整然と分析されるものではない。それよりも、詩は距離を無化してその肌触りを感じたり、そこから発される声の揺らぎやテクスチュアを、行きつ戻りつしながら繰り返し聴くものである。
 読者が詩に対峙するとき、このような臨床的な空間が立ち上がる。読者は詩人の語る言葉を全面的かつ肯定的に受け入れる。読者は何も口出しをせず、詩人の告白を遮ることなく、くつろいだ空間を作り出し
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