群像/飯沼ふるい
 
くさんの涙腺から、医務室に収められた、ホルマリン漬けの卒業証書。





 我々の遺骨を
 我々が納める
 我々の指先
 




道玄坂を下っていた男は朗らかな東北訛りで、日露のエネルギィ通商に伴うOPEC諸国との資源交渉の影響について連れ添いの女に説いていました。
さて、浜田商店という看板のかかった、古ぼけた個人商店には萎びた玉ねぎや人参が、並べられています。
埃っぽい店内の空気をいっぱいに吸い込んだそれらは、近所の農家が三代前の主人に卸してからずっと残されているもののようにも見えるのです。
数年前に流行った文具のポスターが、レジの下に色褪せながらも貼ら
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