フレーム/葉leaf
である。
その頃、年若い未成熟な人間と話す機会があった。彼は純粋に夢を持っていて、自分の孤独に閉じこもり、他人とどう接していいか分からず、社会など全く眼中になかった。だが、私は思ったのだった。この少年には純粋で絶対的な動機がある。相対化され不純になった私にはもう抱けない強力な推進力を持っている。この推進力でしかやり遂げない行動はたくさんあるに違いない。私はその推進力を失ってしまった。成熟は、何かを得ると同時に何かを失っていたのだ。
人生は有限な映画のフレームのようなもので、一定の枠の中に一定の内容しか盛り込めない極めて不便な入れ物だ。新しい風景を写すごとに、それまでの風景は捨て去られる。映
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