フレーム/葉leaf
。映像の遷移はすなわち獲得と喪失の流れであり、だが映画はその有限性に観る者の注意を集中させることができるのだ。
映像が移り変わるように、私は若い精神を失い成熟を獲得した。映像のフレームが有限であるように、人間の精神も有限であり、過去をどこまでも引き連れていることはできず、過去をほぼ殺し去るところでコンパクトに現在の迅速な行為が成立するのである。フレームの有限性が無駄なくコンパクトに現在の私を導く。そして、現在の成熟した私しか映しださない。私のこのフレームが、かつての私、自己中心的で純粋な衝動に満ちていたころの私を映し出すことは二度とない。私は成熟することで、純粋な絶対性を完全にフレームの外に逃してしまったのだ。
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