フレーム/葉leaf
私は成熟を渇望していた。若者特有の傲慢な自己中心性の檻から早く脱したくて、自らを華麗に相対化してしまいたかった。だが、いくら焦っても成熟するのは気分だけで、一向に本体が成熟しなかった。いくら思考を重ねて成熟はこういうものだとわかっても、それと自分の精神が実際に成熟するのはまた別物だった。
だが、成熟は案外すんなりと私に訪れた。私はただ就職して働いて、その過程を思考で丁寧に跡付ければよかったのだ。限りない他者との相克、大きな社会との相互形成、その中で、一人称の中に閉じこもっていた私は見事に中心を分散させ、二人称との呼応、三人称との相互参画にきれいに目覚めていった。私は無事成熟したのであ
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