齧りかけの林檎という存在-存在論としての齧りかけの林檎-/風船
的実体として、あの世に
葬送され、「肉体は精神の牢獄である」と言った哲学者がいたが、逆に、存在は精神と言う牢獄に閉じ込められた。
真の存在は神であるという余りの暴論を吐く中世の偉大な神学者に逆らう、「存在は普遍的な物でなく、個別に存在する物、個別性にある。したがって、存在は、その個別性をさす言葉にある。言葉はそれを指し示す記号であり、存在はその記号である言葉にある」とする記号論。存在を、林檎と言う個別性と記号という言葉に求め、還元してしまう勇敢さに、尊敬の念を禁じ得ないほどの驚愕である。それを現代に甦らせ、リメイクする現象学とプラグマチズムには、嘔吐せざるおえない。
林檎と言う存在は、存
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)