鏡/葉leaf
 
とは違う路上を歩いていたが、確かに今の自己と同じ太陽を浴びていた。自分はもう孤独ではない、自分の欠落は過去の自分によってまんべんなく埋められてしまった。
(だがそもそも自分は孤独だったか。ブログを書籍にしなくても、過去にその記事を書いた記憶は形を変えながらも自分の中に堆積していたし、それ以上にブログに書かなかったことも自分の中には華やかに飛び交っている。ブログに書かなかった言語をすり抜ける体験の記憶は、何よりも現在の自己に親しく、そちらの方が自分の孤独を癒してくれているのではないか。ブログなどなくてもよかった。言葉にされず沈黙の相手をさせられた体験の方がよほど自分の欠落を埋めている。)


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