鏡/葉leaf
同一性によって統一されているとはとても思えない。むしろ積極的に自己は悪意に満ちたカオスだと言ってもいい。そんなカオスの居場所もまたカオスであり、カオスがカオスを許してくれるはずなどないのだ。)
あるときブログを書籍化してみた。一つ一つ孤立して、気炎を上げたり消沈したりしている記事たちに愛情の薬液を与えたのである。本として慎密にまとまったブログは、それぞれの記事が紙として肌を寄せ合っていた。時系列上にランダムに散らかっていた記録が、自分の本棚の中の一冊として、落ち着いて親しい体温と魅力を放つようになった。過去の自己が掌に与えられたとき、もはや私は孤独ではなかった。過去の自己は確かに今の自己とは
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