均衡/葉leaf
を一つ一つ割る、その度に新しい認識が閃くようでもあるし、薪を一つ一つ積む、その度に新しい表現が生まれるかのようだった。言葉が外に発され他者へ届くものであるのと同様に、労働もまた身体から発され外に成果として蓄積され他者に承認されるのであった。うず高くきちんと積まれた薪の山は、私の一つの整った文章であるかのようだった。
連日薪割に勤しんでいると、まず背筋が重く痛くなる。そして肉体労働の連続に伴う特有の消耗感に襲われる。労働の持続によって失われていくものが確かにあった。私は太古の時代の人間の疲労と自己の疲労を重ね合わせた。疲労するということにおいて、私は時空を超えて太古の人間とも異国の人間とも連帯
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