一方井亜稀詩集『疾走光』について/葉leaf
 
。一方井のこの錯覚の瞬間への導きは、そのような表象困難な歴史の根源へのまなざしだと受け止めることができる。だから、初めに読んだ詩行もまた読み返されなければならない。一方井の詩は確かに物語的な部分もあったわけだが、そのような物語的な部分でさえ、常に歴史の根源にある存在のカオスにより創発され、また存在のカオスへとまなざすものであるのだ。

魚の線はあらゆる線となり
あくまで目を合わせずに会釈する老人の背骨
またはブラウン管に映るあらゆる背骨の線
朝の食事の最中にも
テレビに見とれて袖を汚す間にも
白い陶器は魚の線であるあくまでも
遠くを見る眼は夏の陽を抉ろうとして
テレビの中から あ
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