血縁/葉leaf
の一つの器官としての私もまた、より大きな構造と歴史の中に組み込まれていることが分かってくるのである。そんなとき、自分に押された、産まれたときから押されっぱなしである烙印の痛みに気付かないだろうか。それが血縁という烙印である。血縁はすべてを説明してくれる基礎哲学ではないだろうか。私がこのような姿かたちで、このような性格で、このような人生を送ってきたことを、余すことなく説明してくれないだろうか。そして、そんな基礎哲学には当然憎しみを抱く。哲学が理論で説明できない暗部、そこにこそ真の私は存在しているのだ。特に、父の姿が、外で仕事をしている父の姿が想起されて、私はそれを上回る膨大な熱量の海でその父の姿を呑
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