例えば言葉は/汰介
又は確認したい、と言う、屈折した求愛行動なのだろう。
そこから、その中で生きるか、その外側でその自身の行動その物を上手く操るか、
に分かれるのだろうか?
しかしそれは、現実には単なる理想である。
そこで、肉体的には妥協と言う行為ができる。
そう考えればつまり、言葉に自分が近づけば近づく程、自然と溶け合う=空気のようになる=肉体的死に近くなる、
と言う事なのだろう、と思う。
生きている人間がそれを言うと、必ずそれは嘘臭さを伴う。
大地に生きる者が、それをそのまま正しく語る事は不可能である。
何故なら、その言葉そのものを大地に接着し権威付けようとした所で、
ゆがみが起き
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)