暗転、現実と前提/Ohatu
 
品から、彼が口にするほどのメッセージ性を感じることはなかった。どこか冷めている。その冷めているとう表現は、彼自身が彼自身をよく観察していて、無理をさせないようにしている、ということに近いかも知れない。

細田守監督も普通の人だと思ったが、周りも本人も宮崎駿監督を意識しすぎているのではないかと思った。一言でいうと、かけた金のもとを取ってはいるがそれ以上のことをしようと欲をかく人間ではない、という印象。園監督は違った意味で、冷めている。

そういう思いから、彼らの作品に対する反応を見てみると、どれも、無意味に大げさに、肯定し、または、批判し、何のためにそこまでユーチューブの動画やコメント、ある
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