(批評祭参加作品)観察することば/石川和広
 
くために、とても大切なことで、漱石が精神分裂の危機を何とか逃れたのも、生きていく現実を見失わないために
異言語の生活や、言語を丹念に「観察」するしか、生き延びる術がなく、そして、世間というものがその後に異世界として再び現れたとき

兎角此の世は住みにくい

という故郷が異空間だったという哀切だろうし、そこからの溜息なのに違いない。

僕は、20世紀の二人の観察者に深く
敬意を抱く。
しかし諦念は、僕の土台になりうるか
わからない。
北村と、漱石はまったく違う

漱石は「吾が輩は猫である」といい、
猫を見つめ続けるといったのが北村である.


そして、しかし、そうい
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