ペイター「ルネサンス」 (3)/藤原 実
 
」をつけようとした。かれの有名な「非個性」の説や「情緒からの逃避」といった主
張もじぶんの方法をなんとか一般化しようという努力からでているのだろう。

そのかれの立場からみればペイターの「印象」などは非常に個人的でたよりないものに感じたのか
もしれない。しかしそれは西脇順三郎も指摘したようにペイターの「印象」論のあまりに通俗的な
とらえかたでしかない。
またペイターの文学は追憶の文学であるから、個々の引用の内容とともに、それらの奏でるシンフ
ォニーに耳を傾けなければならないのに、エリオットは意図的にかどうか耳を貸そうとせず、ただ
ペイターの宗教的な倫理観などをさかんに問題にするばか
[次のページ]
[グループ]
戻る   Point(1)