「沈黙」についてのノート--ヴィトゲンシュタイン、G.スタイナー、石原吉郎の「沈黙」/N.K.
 
れの一部に収斂するとも考えられ、その大きな流れは、詩を越えたレベルでの出来事であり、世界史レベルでの出来事でもあると言うことも知った。
 震災以降、アウシュビッツ以降に詩を書くことは野蛮だという言葉が、詩人の中からも言われたようだ。自分は最初、ヴィトゲンシュタインの結論をもってよくわかるような気がした。が、そこから進みださねばならないと今思っている。例えば、石原吉郎には、こう言ってよければ、ラーゲリー体験があった。おそらく一面ではそれと関わって「沈黙」という目的が、作り上げられた。にもかかわらず、「沈黙」という言葉を持ち出して、わざわざ対象化し、詩の背後などで「語る」ことをしないわけにはいかなか
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