嗜好の深み〜「babi-yarの珈琲三昧」/深水遊脚
してしまうのですが、そこに至る過程のどこかに飛躍があります。
「本当に美味しい珈琲は嗜好や経験を問わず誰が飲んでも美味しい」というのは、仮にプロの人が理念としてもつ場合は美しいかもしれません。しかし、美味を求める人間の営みが本来持つ多様性をひとつに限定しようとする傲慢さをはらんだ言葉だとも思うのです。動物としては危険を感じ、本来嫌うはずの苦味や酸味を、誰もが美味と感じるようになる必要はありません。苦味や酸味が美味に転換する瞬間というのは、本当に個人的なものです。同じコーヒーを同じときに飲んだからといって、別の人がその衝撃的な瞬間を感じるとは限らないのです。珈琲店主に唯一できることは、衝撃的
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